カテゴリー「Deformity 奇形」の3件の記事

ビッグフットガール

60204a1 後にビックフットガールと呼ばれる、ファニー・メイが生まれたのは1859年、イングランドのサセックス州。ミルズ家の長女生を受けた。両親の名はジョージとサラ。 ファニーの下には五人の兄弟がいた。

彼女が11歳の時に、ミルズ一家はオハイオ州パーキンスに移り住んだ。 ここで父親のジョージは、家族を養うために牧場を借りて酪農をはじめることにした。 子供たちはみんな、広大な土地と大自然の中ですくすく育っていった。

しかしファニーだけは様子が違っていた。 彼女は生来のリンパ浮腫で、足の大きさは成人男性の2倍弱、華奢な体で体重はすでに成人並みの100ポンド(約45kg)そこそこだった。

彼女が歩く様は異様だった。歩くというより体をユサユサと揺らして移動するといった具合だった。そんな彼女を気遣って家族も彼女をなるべく外に出さないようにしていた。しかし、いつしか近所の噂となり地方のマスコミにその存在が知れることとなった。 やがて見世物小屋の興行師がやって来て彼女を預かることを提案したが、父ジョージはこれを頑なに拒んだ。

状況が一変したのは、1885年、父ジョージが亡くなってからだった。
見世物小屋に入ってもいいから家族の生計を立てるために働きたいと、彼女自信が願い出たのだ。彼女の決意は固かった。はじめは反対した一家も、最後には渋々承知した。

隣家の婦人メアリー・ブラウンに付き添われた彼女は、アメリカ東部の町をまわり始め、彼女を嫁にもらう男性には 5,000ドルと手入れの行き届いた農場を進呈しようという父親からの提言(実際には農場などはなく、父自身も亡くなっていましたが)をでっち上げたことで次第に有名になっていった。
おそらく持参金目当てだったが、結婚を希望する男性はひきも切らず、そうこうしているうちに彼女もついに結婚することになった。

彼女が結婚したのは、付き添いを務めたメアリー・ブラウンの兄弟、ウィリアム・ブラウンだった。ウィリアムにしてみれば、持参金の話はデタラメだということは百も承知だった。 しかしながらファニーは実際、見世物小屋で働くことで大きな収入を得はじめていた。

こうして金に目がくらんだ46歳の男、ウィリアムは器量の良い女性と結婚することをあきらめ、26歳のファニーにプロポーズすることしたのだった。

その後彼女は、浮腫が悪化、動くことも出来ずに1899年、39歳の短い生涯を終えた。 確たる記録は残っていないが、この彼女がのたうち苦しんでいる時期にウィリアムは彼女と離婚したともいわれている。


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四本足の美少女 ジョセフィーヌ・マートル・コービン

220pxmyrtle_corbin_by_jr_applegate_ ジョセフィーヌ・マートル・コービン

ジョセフィーヌ・マートル・コービンは、1868年5月6日、テネシー州のリンカーン郡で生まれた。

しかし彼女は二臀体(dipygus)という症状で、ウエストから下に二つの骨盤が横並びにおかれていた。

画像ではもう一体の下半身が彼女の股間に結合しているように見えるが、内側の足はそれぞれの外側の足とペアとなっている。 彼女は大小どちらの足も動かせたが、内側の足は弱々しく、歩行には適さなかった。

コービンは、「テキサスの4本足の少女」 としてサーカスの見世物小屋に出演していた。 19歳のときにクリントン・ビックネルという医師と結婚し、4人の子供を出産した。 うち3人の子供と残る1人の子供はそれぞれ別の骨盤から生まれた。 

Anomalies & Curiosities of Medicine 1896 (ジョージ・M・グールド、ウォルター・L・パイル共著)」 によると、コービンの背柱は第三腰椎から二つに分かれ、その下は下肢を含む全ての器官が二つあったという。 排尿排便はそれぞれ時間が異なったが、生理は同時にあった。
彼女は19歳で結婚、その一年後には左側の子宮で妊娠しました。 しかしつわりがひどく、正常な出産が望めそうになかったため、妊娠四ヶ月で中絶を勧められた。
これに関して、当時彼女を診た医師はコービンに左側で孕んでいることを告げると彼女はこう答えたそうだ。 「おかしいわね。 右だったらわかるけど」。
疑問に思った医師が遠回しに訊ねると、彼女はセックスするときには右のヴァギナを主に使用していたそうだ。なぜ左の子宮で妊娠したのかは、未だに謎だという。

彼女が亡くなったのは1928年。 愛する家族と友人に看取られた幸せな最後だった。

(英語版wikipedia)

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世界一醜い女はモテ女だった グレース・マクダニエル

  世界一醜い女の異名をもつグレース・マクダニエル

Mc011_6 彼女はは醜女コンテストに優勝して「世界で最も醜い女」のタイトルを手に「ラバ頭女」としてサイドショー(見世物小屋)ビジネスの世界に入った。その姿は 赤い生肉のような皮膚、口を動かすのが困難なほどひどくゆがんだ大きな顎、ぎざぎざに尖った歯がバラバラに並ぶ口の中、鼻は異様に大きく曲がり目は深く落ちこんでいる。

ショー当日、彼女は顔をヴェールで隠して観客の前に立つ。そして 司会者がこう告げる。
「今から グレース・マクダニエルがその顔をお見せします。それをご覧になれば、みなさんは彼女に似ていなくてよかったと、神に感謝することでしょう」
グレースがヴェールを上げると、観客の中からは恐怖の叫び声があがった。

世界最大のフリークス写真コレクター エドワード・G・マローン氏はこういう
「彼女は なぜかわからないが、たくさんの男達をとりこにした。嫌悪をもよおさせる顔つきであったにもかかわらず、彼女が何人の男から結婚の申し込みを受けたか見当もつかないほど多かった。彼女はその中から若く美男子の男と結婚した」

彼女には二枚目な息子が一人いた。息子は成人するとマネージャーとなり、1958年 グレースが死亡するまで いっしょにサイドショーの仕事をしている。

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